羨ましかったすき焼き

江戸屋 さん(東京都 75歳 )から頂いた投稿です。 その他編

 

 昭和はじめに東北のあまり豊かではない家に生まれた私は、戦争中は物のない時代を経験しました。
 物もありませんでしたが、食べるものも不足していました。戦争は終わっても、当分の間は物も食べる物も不足が続き、学校の勉強が終われば店の手伝いが待っていました。
  雑貨屋を営んでいた家では仕入れも大変だったようですが、だんだんと物も流通するようになると、配達もできるようになり、自転車や徒歩で配達の手伝いをするようになりました。
 そんな時、近くで息子が学校で一緒だった繊維問屋さんに配達で行くこともありました。学校でいじめられた記憶はありませんが、配達で行った時に同級生と顔を合わせるのは、やはり気まずかったです。
 それに、たまに夕食時に行った時しょうゆで煮ているすき焼きの匂いが流れていたりすると、羽振りのいい家は違うんだな・・・と思ったりしたものです。外に出てから生唾を飲み込んだりして、自分ながら情けなく思ったりもしました。

 しかし、その後私もすき焼きが食べられるようになった頃、その問屋さんは商売が傾いて仕事を辞めたうえに、道路の拡張で今はもう建物もありません。
 すき焼きを食べるたびに、あの友達は今頃どうしているのだろう、と思います。

 
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