すき焼きの中に生きる祖父

dp さん(兵庫県 43歳 )から頂いた投稿です。 家族編

 

私の祖父は終戦後に兵庫県芦屋市という地に精肉店を開き、その後美味しいお肉を食べさせる旅館業をはじめ、現在も精肉店とホテルという形態で続いています。私は末娘の長男ということもあり、祖父からとても可愛がってもらいました。
祖父の可愛がり方は、好きな物を買い与えたり、お小遣いを多くくれることもそうなのですが、何よりも質の高い但馬牛をいつも私に食べさせることでした。可愛い孫に美味しい牛肉を食べさせたいという思いと共に、私自身を「肉のエリート」として育成する狙いもあったと思います。
成人する頃には、育成が本格的になり、買付けに同行させられ、その場で牛肉の善し悪しを直接指導されました。しかしながら私自身、継ぐ気が全くなかったので、それはとても迷惑なことではあったのですが、優しくしてくれる祖父にそのことを明確にすることは出来ず、のらりくらりと祖父の「早く継げ!修行しろ!」という言葉をかわし続けていたのでした。

そんなある日、私を呼び出した祖父は、10万円が入った封筒を私に手渡し「三重の松阪牛の名店である和田金さんに行って“すき焼き”を食べて勉強してきなさい」と言いました。
当時20歳、遊びたい盛りの私は、その封筒を受け取り「わかりました!行って参ります!」と言いつつ、当時どうしても欲しかった物等を買い、“すき焼きでは無い食べ物”をお腹いっぱい食べ、文字通りの「散財」を行なってしまいました。
若気の至りでは済まされぬ背任行為。しかし、いつも甘やかされるだけ甘やかされていた当時の私には、さほど反省の気持ちもなく、数日後祖父に平然と「和田金さんに行ってきました!さすが名店の味!でした~」等と調子の良い報告を済ませたのですが・・・。

それから4年後、祖父は胃がんでこの世を去りました。
最後の最後まで私の名前を呼んでくれた祖父。死ぬ間際まで「美味い牛肉が食べたい」と言って亡くなった祖父。私の心の中には、優しくしてくれた多くの思い出と共に、和田金さんに行くように渡されたお金を別の事で使ってしまった後悔がありました。
情けないことに亡くなってわかる祖父の存在の大きさでした。以降、すき焼きを見る度に胸の奥がチクっと痛む、そんな日々が過ぎていきました。

そんな日々の中、私は祖父が我々家族に残してくれたお店で一生懸命すき焼きを売っていました。それが一番の供養であり、祖父への罪滅ぼしだと思ったからです。
お店に来るお客さんが「ここのすき焼きは美味しいねぇ~」と仰ってくださる度に、少しづつ私の心の中の懺悔の思いが軽くなっていくような気がしていました。

そういう私を見ていてくれていたのでしょうか。ある日、フード作家の向笠千恵子先生から取材の電話がかかり、その対応を僕が行なったご縁で「すきや連」という素晴らしい会の一員に加えて頂きました。
「すきや連」では、毎回各地の名店ですき焼きを食べる例会が行なわれるのですが、なんと第十一回目の例会が和田金さんで開かれることになったのです。勿論、私はすぐに参加を表明しました。
和田金さんに向かう道中、私は車窓から空を見上げ、亡き祖父に向かって「ようやく約束を果たすことが出来ます」と呟いていました。

そしてついに、私は和田金さんのすき焼きを口に運ぶことが出来ました。
自分で稼いだお金で祖父との約束を果たせた喜びも大きかったのですが、何よりも祖父が、なぜ私にこのすき焼きを食べて勉強しなさい!と言ったのかが、本当に伝わってきました。一つのすき焼きの味を通して、私は亡き祖父と心を通わせている、そんな感覚が私を包んでいました。
とろけていく霜降り牛の味を噛み締めながら、何度も何度も心の中で「おじいちゃん!ごめんなさい!」と呟きながら、でもいつしかそれは「おじいちゃん!美味しい!」に変わっていました。

子供の頃からいつもすき焼きが身の回りにある生活を送ってきましたが、この日のすき焼き以上の味は無いと思います。
牛肉が大好きだった祖父。その祖父の心が込められたすき焼きという食べ物を私は愛しています。すき焼きを食べるといつも祖父に会えるのですから・・・。

 
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